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by kxikl4nohz
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<山口彊さん死去>「8月6、9日は僕の命日」(毎日新聞)

 もう二度と被爆者を作らないで−−。4日に93歳で死去した二重被爆者の山口彊(つとむ)さん=長崎市=は、死の1カ月前まで病室で海外メディアの取材を受けるなど、平和のメッセージを発信し続けた。家族のきずなを何よりも大切にしていた。最期はその家族に見守られて、穏やかに旅立った。

 オバマ米大統領の登場に「今が核廃絶のチャンス」と希望を見いだし、期待を寄せた「核なき世界」の実現は間に合わなかった。

 8月以降、入退院を繰り返し、12月ごろには見る見るうちにやせ衰え、以前のような張りのある声は出なくなっていた。

 命の光が弱くなる中、12月7日には、病室でスイスのテレビ局の取材を受け、か細い声で必死に戦争の愚かさや原爆の恐ろしさを訴えた。

 12月22日には、来日中の米国映画界の巨匠、ジェームズ・キャメロン監督が病室を訪問。原爆をテーマにした映画の構想を聞いた山口さんは英語で「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語り、固く手を握ったという。

 「自分の幸福は家族」と口癖のように話していた。1月3日には家族の手を握って「みんなで力を合わせて、ひ孫を育てていくように」と語り、翌4日早朝、静かに息を引き取ったという。

 8月6日と9日のことを「僕の命日」と言い「核兵器廃絶のために生かされている」との思いを持っていた。09年3月、世界で初の二重被爆者として公式認定され、そのニュースは原爆の悲惨さの象徴として世界中を駆け巡った。「平和のバトンをつなげなければいけない」が口癖だった。

 趣味の短歌に思いを込めた。

<非核平和永久(とわ)に護(まも)らす神あらば青き地球は亡(ほろ)びざるべし>

 遺族は、この短歌を墓碑に刻もうと思っている。【阿部弘賢、宮下正己】

 ◇広島に出張 戻った長崎

 三菱重工業長崎造船所の設計技師だった山口彊さんは45年5月、妻子を長崎に残し、3カ月の予定で広島に長期出張。8月7日に長崎へ戻る予定だった。

 6日朝、広島市内を走る路面電車の駅を降り、職場に向かって歩いている途中、空に白い落下傘が二つ見えた。「地上に白い光が満ち、膨張する大火球を見た。ものすごい爆風で吹き飛ばされた」。被爆した山口さんは左上半身に大やけどを負った。

 翌7日朝、原子野と化した広島市内を歩いた。川面にはおびただしい死体があった。この時に見た光景を基に、戦後「大広島炎(も)え轟(とどろ)きし朝明けて川流れ来る人間筏(いかだ)」の短歌を詠んだ。

 同日昼過ぎ、避難列車に乗り、8日に長崎にたどり着くと9日には造船所に出社。広島での様子を上司に報告している最中、窓の向こうに再び閃光(せんこう)が見えた。上空に上がるきのこ雲を見て「まるで(きのこ雲に)追いかけられているみたいだ」とつぶやいたという。

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# by kxikl4nohz | 2010-01-07 11:22


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